この記事は手術、出血などに関する内容があります。苦手な人は読まないでください。
※エコーや検査キットなどの画像などは載せていません。
この度2度目の妊娠をしましたが、再び稽留流産となり手術をしました。
赤ちゃんが再びお腹にきてくれたのに、2度もこんな悲しい思いをするのかと今も心が苦しいです。
自分の気持ちの供養と私と同じように悩んだり苦しんでいる方に届けばいいなと思いブログに残すことにしました。
2度目の妊娠
生理予定日の頃に、「何となく前回の妊娠したときと同じような気がする…」と思いフライングで検査し薄っすら陽性判定がでました。
正直前回の稽留流産のことがあり、嬉しいけれど安定するまでまだ喜べないという気持ちが強くありました。
嬉しい。
でもまた前みたいなことが起きたら悲しい。
喜んで前回みたいなことがあったらまた自分を責めちゃうでしょ?
嬉しいけど、安定するまでは怖いと思っている。
夫は私の前回のメンタル状態もみているので、そちらを心配していました。夫も前回のことがあり慎重になっていました。
4週目:病院受診
フライングで検査し薄っすら陽性判定が出たので受診して確認してもらうことにしました。
再度検査し陽性が確定しましたが、次週また受診するように言われました。
今回は出血や腹痛もなかったので仕事も無理のない程度にしていいと言われましたが、不安だったのでお休みすることにしました。
5週目:出血と切迫流産
夜中に出血があり鮮血でした。夜用の生理用パットを使用しても2時間おきに交換しないと間に合わないレベルでの出血でトイレも血の海でした。
血液の塊も出てきており「ああ、もう胎嚢が出てしまったかもしれない。終わった。」と思いました。
翌日病院を受診すると「胎嚢は確認できたけど、切迫だね。出血も多いしまたしばらく自宅安静にしていて。」と言われました。何とか赤ちゃんが助かりほっとしました。
その日は点滴と流産予防の注射をしてもらい自宅安静の日々がはじまりました。トイレとご飯以外は起き上がれず寝たきりの暮らしが始まりました。
義理の両親に報告
安静にすることになり実家に帰りました。
しかし車を運転することもできないので、毎回家族の送迎が必要になりました。実家の家族も仕事をしているので毎回休めないし、夫が仕事を休めない日もあり義理の家族を頼ることにしました。
前回の流産の時は伝えませんでしたが、これ以上黙っておくこともできないと思い話すことにしました。夫から前回の治療のことや今回の様子を話してもらいました。
義理の母は「同じような経験をしていないから気持ちはわかってあげられないかもしれないけど、力にはなりたいと思っているからいつでも頼ってね。」と言ってくれました。
6週目:毎日の点滴
再び胎嚢確認できましたが、その日は心拍は確認できませんでした。
出血は全く止まらず点滴をすることになりました。通院も難しかったため母が看護師だったこともあり自宅で点滴することになりました。
母も看護師ですが、点滴をするのは何十年ぶり…。毎日仕事前に頑張って打ってくれました。私の血管が全然なくて刺すところもないし、痛いし本当に辛かった。
でもこの辛さを乗り越えたら赤ちゃんに会えるかもしれないという思いだけで頑張りました。
でも次の受診まで毎回怖くて一人になると泣いていました。
お願いだから心臓が動いていてほしい。
今回はちゃんと育ってほしい。
もうみんなを悲しませたくない…。
家族にもこんなに協力してもらっているのにまた前回みたいなことがあったら怖いという不安はずっと消えませんでした。
7週目:心拍確認と不整脈
今回初めて心拍が確認できました。しかし不整脈だと言われました。
「赤ちゃんの生命力にかけるしかない」と言われました。できる限りの治療はやっているし、大丈夫と思いたかったけれど、いい状態ではないのかなとも思いました。
また前回と違うのは食べつわりみたいな症状がでてきたことでした。そういった症状も出てきていたので前回よりは妊娠が継続できるかもしれない、期待が持てるかもしれないとも思っていましたが、心拍の話を聞いて不安しかなかったです。
まだどうなるかわからなかったけれど、不安に押しつぶされそうな毎日でした。
夫と電話しながら不安を吐き出し気持ちを落ち着かせることしかできませんでした。
8週目:心拍停止・手術決定
8週目に受診すると赤ちゃんの心臓が動いていませんでした。
「また産んであげられなかった。まただめだった。」と呆然と思いながら結果を聞きました。
婦人科では泣くこともできず、手術の流れを聞いて帰ってくることしかできませんでした。
ごめんね。
頑張ったけどまただめだった。
手術頑張るね。
夜に夫に報告しながら泣いていました。
稽留流産:手術当日
当日は9時以降飲食禁止で11時すぎから手術待機をしていました。
静脈麻酔で気持ち悪くなる可能性が高いと言われたので絶飲食の2時間前にゼリーだけ食べました。
前回は胎嚢の一部が自然排出されていた状態で、子宮内の胎嚢が出かかっていたこともあり局所麻酔で手術しました。あの体験はもう二度としたくないし、辛かったです。
今回は2度目の流産ということもあり不育症についても検査したかったので胎嚢を検査に出すため静脈麻酔で手術を行うことになりました。
手術と静脈麻酔
術前に点滴を行い、歩いて手術室までいきました。
手術台にあがって血圧を測られたりしながら、準備は進んでいき静脈麻酔が始まりました。
「今から麻酔をします。ピリッとすると思いますが、すぐになくなります。私と一緒に数字を数えてくださいね。」
看護師さんと一緒に数字を数えて7くらいで記憶がなくなりました。
そのあとは目の前がぐるぐるとしてピンクの世界に引き込まれた感覚でした。ジェットコースターのように物凄い速さで何かに追われているような感覚で、遠くから誰かの声が聞こえていました。
サイケディリックで画像を探してみたらその時と一番近い感覚の画像がありました。
ピンクの色合いは違いましたがこんな感じに見えました。
手術が終わり部屋に行く頃にようやく意識が戻り始めましたが、目を開くと視界がぐるぐる回っていて気持ち悪かったです。幸い吐くことはなかったですが、ずっと眩暈が起きているような感覚が辛かったです。
手術としてはおそらく15分~20分だったと思いますが、私の意識が戻り部屋で待ってくれていた母と話せたのは90分後くらいだったと思います。
鈍い腹痛はありましたが、今回は静脈麻酔での手術だっため痛みを耐えながら手術した時とは感覚が違いました。
点滴が終わり手術から4時間後くらいに帰宅できました。
稽留流産:術後の経過
前回は局所麻酔での手術だったため精神的にかなり辛かったですが、途中まで胎嚢が出ていたこともあり身体の回復は早く術後も痛みもあまりなく過ごせてしました。
しかし今回は術後の腹部の鈍痛と出血が1週間ほど続きました。恐らく子宮の収縮だと思いますが、下腹部の痛みはなかなか取れませんでした。前回よりも侵襲が大きかったのかなと思います。
また数週間寝たきりだったので筋力低下が著しく体力回復までに時間がかかりそうだなと思いました。
流産後の心境
2回連続の流産・手術は身体だけでなく精神的にも追いつめられました。自分は子どもを産めないんじゃないか、不育症なんだろうか…色んな思いがあり自分を責めて辛かったです。
比べることではありませんが、周りの同じ時期に結婚した友人たちは病院に通わなくても普通に妊娠し流産も経験してなくて、切迫にもなることもなく妊娠生活を送って出産している子ばかりで、そんな友人たちの出産報告が前回の妊娠時から立て続けにあり更に心は荒んでいきました。子持ちの友人に食事に誘われたりもしましたが、まだ会う気持ちにはなれずにいます。
誰が悪いわけでもないのに人の幸せを祝えない自分にも辛さを感じていました。
自宅安静中に一人だけ前の職場の先輩が会いに来てくれました。その時に「辛いときは無理して会わなくていいし、自分を大切にして。私も年々合わない人とは離れていっているし、また会いたいと思える時が来たら会うでいいんじゃないかな。」と言われました。心が軽くなりました。
色んな感情が巡るけれどいつか時間が解決してくれると信じて過ごそうと思います。
夫婦関係の変化
前回の流産時は「自分だけが流産したことを悲しんでいる」と悲観し、夫がいない日にひとりで泣いていました。
今回は自分の気持ちを夫に正直に言いました。「一緒に悲しんでほしい」と伝えると夫は「俺まで悲しんでいたらミレイ(私)がいつまでも辛い思いをするんじゃないかと思っていた」と話してくれました。夫も表面には出さなかっただけで悲しんでいたことを知りました。
辛いこともありましたが、今回の自宅安静時に夫の優しさを感じたり、短い期間でもお腹の子と過ごせた時間は幸せな瞬間もありそれは忘れたくないなと思いました。
流産したことは辛いことですが、少しずつお互いに本音を言い合えたり、寄り添えたり…以前よりもより絆が深まった気がします。これからも二人で乗り越えられたらいいなと思います。
前を向いて今を生きる
今回とても辛い経験をしましたが、少しずつ前を向けています。
まだ完全に回復していませんが、もう少しゆっくり休んで体調が回復したらやりたいことをしたり、会いたい人にたくさん会って遊びたいなと思っています。
現在は会いたい人に会う予定を入れたり、やってみたい仕事を探すことでモチベーションを保てています。あとは美味しいものを食べたりお酒を飲んだり、夫と二人の生活を全力で楽しもうと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
コメント
コメント一覧 (1件)
[…] 結婚 【体験談】2回目の稽留流産と手術(静脈麻酔) 派遣看護師 […]