自分の気持ちの供養と私と同じように悩んだり苦しんでいる方に届けばいいなと思いブログに残すことにしました。リアルタイムの内容ではありませんが、思い出すと今でも涙が出ます。それだけ流産を繰り返すことは心に大きな傷を負うことなんだと痛感しています。
人生3回目の妊娠
ちょうど去年の春に3回目の妊娠がわかりました。
喜びと同時に「また今までみたいに流産するかもしれない」「喜んでばかりはいられないかもしれない」と不安な気持ちの方が大きかったです。
夫も「今喜んでもあとで悲しい思いをするかもね…」と少し前向きにはなれない様子でした。今思えば我が子の誕生をもう少し喜んであげればよかったかなと思う事もありますが、あの時は心のダメージを減らすことに必死だった気がします。
妊娠確定後からの治療
過去の流産歴もあり【不育症】であると言われていました。
元々受診していた地元の不妊治療専門の病院で内服や注射による治療が妊娠と同時に開始となりました。主治医曰く体外受精の方と同じメニューで進めていくということでした。
妊娠から34日目から漢方・ホルモン剤の内服やホルモン剤のテープなどを使用していきました。3日後に茶おりが出始めてからは止血剤開始。45日目頃に出血が止まったので内服を再開しましたが、その後も茶おりが出始めるなど安定しない日々が続きました。
57日目流産確定
妊娠から57日目に流産が確定しました。
診察室で心臓の動かない我が子の姿をみて「また駄目だったんだと…」とその場では冷静にいられましたが、診察室を出て待合室についてから我が子のエコーをみた瞬間に涙が出てきました。看護師さんが気づいてくれて人のいない個室に案内してくれました。
「辛かったね。ここは誰も来ないから思いっきり泣いていいから」と言ってくれました。
誰もいない個室で号泣しました。「何で妊娠できるのに子どもを産めないんだろう」「何でこの子がお腹の中で死んでしまったんだろう」「このまま子供を授かれないかもしれない」など色んな感情がこみあげてきました。
今回の子こそは大丈夫…と思いたかったのに何でだろう…答えは出なかったけど、思い切り泣いたら少しすっきりして病院から帰りました。
65日目稽留流産手術
2回目の稽留流産の時と同様の手術が行われました。あの悲しみと痛みを知っているからかこの時が一番怖かったように思います。
前回の手術時と静脈麻酔の薬の内容は変わっていなかったはずなのに目を瞑ってからみえてきた景色は真っ白な景色でした。
まるで天国のような真っ白な景色を過ぎてぐるぐるした世界に引き込まれていきました。我が子がいく世界はこんな場所なんだろうかと思った記憶があります。
手術が終わってからは以前の手術後よりも下腹部痛がひどく「痛い、痛い」と連呼していました。やっと目が覚めて付き添いの母と会話できるようになったのは1時間半以上あとのことでした。
転院を決意
3回の流産を経て地元の病院から不育症の専門治療や研究を行っている病院を探しそちらの病院へ転院することにしました。
今までの悲しい思い出の詰まった病院に通い続けるのが正直辛かったのと、病院を変わったらもしかしたら何か変わるかもしれないという気持ちで転院を決めました。
3回目の妊娠を経て
3回の妊娠・流産を経て改めて考えさせられます、妊娠・出産は当たり前のことではないということを。そして流産は何度経験しても慣れることはなくとても辛い出来事です。
この世に生まれていなかったとしても我が子が亡くなったという事実はあるのに流産後の人はグリーフケアなどのサポートを受けることはありません。もう少しそういった制度が整えばいいのにな…と何度も思います。
私の場合は自分自身で立ち直っていくしかないと腹をくくり、仕事や新しい趣味を見つけて何とか日々を過ごしました。SNSで似た境遇の方と悲しみを共有したり、頼る人が近くにいるなら頼っていくべきだと思います。自分ひとりで抱えていくのは辛いです。
私の記録が少しでも誰かの役に立てればと思います。